1月20日のアメリカ大統領就任式の中で最も印象に残ったのは大統領の就任演説ではなく、若き詩人アマンダ・ゴーマンの詩の朗読でした。大学時代にESS(English Speaking Society)という英語サークルに入っていたのですが、そこでケネディー大統領の就任演説のスピーチコンテストに出ました。その内容に感動し大統領のスピーチにはまり、それ以来、大統領就任式は必ず期待を持ってみることにしています。41代大統領George H W Bushの就任式の際にはNHKのインターンでその取材もさせてもらいました。ただ、今回の就任式はとても変わったものでした。それはCovid19 の蔓延で、聴衆がやたら少なかったことや、1月6日の暴動で物々しい警備で就任式のお祭り的な要素が見えなくなってしまったということで式典としては華やかさのない、やたら地味な印象があったからかもしれません。トランプ以降、大統領スピーチに幻滅してしまっていたのか、或いはバイデンのスピーチに期待がなかったのからかもしれませんが、悪いけど盛り下がりを感じていました。ただ、その状況を一変する凄いインパクトある出来事がありました。黄色いコートに、子供っぽい顔つきの小柄な黒人女性Amanda Gorman のThe Hill We Climb「我々が登る丘」という 詩の朗読です。実に意義深く、良く構成された、美しい詩でした。彼女は22歳の若き詩人で、私の住むロサンゼルス出身、更には私が住んでいたサンタモニカにあるNew Rose Schoolに通っていたそうです。知らなかった…。ハーバード大学に奨学金で行き、数々の賞を取り、有名なトークショーホストのオペラ・ウインフリーからも称賛され(今回は彼女からプレゼントされたアクセサリーをつけていたようです)、今回の大統領就任式での大役を任せられるほどの有名人だったのです。でも何という詩だったのでしょう!アメリカ人の多くもかなり感動したらしく、本日子供のオンラインでの学校のクラスでもその話で盛り上がっていました。今回はその詩の内容と意義を分析してみたいと思います。

 

詩の意義と特徴

相手を攻め自分を正当化するトランプの言論手法はアメリカの文化となり、アメリカは大きく分断され1月6日の暴動はそれを象徴する衝撃的な事件になっています。そんな状況の中でこの詩はまさにタイムリーであり、The Hill We Climbはアメリカ人の国に対する考えを再認識させ、UNITY(一致)の意義を諭す意義ある重要なものでした。いくつかの部分に分けて、その内容をみてみましょう。

 

1)タイトルに出てくる「丘」とは

このタイトルからして意味深で、そのすごさが伝わってきます。アメリカの議会をCapitol Hillと言いますが、このスピーチをした就任式が開かれているのが、そのCapitol Hillであり、現状のアメリカの分断が形になった1月6日の暴動がおきたのもこの場所です。更にもっと深い意味があります。アメリカは宗教的抑圧を逃れて欧州から移民したピューリタンを中心に建国されていきますが、その際に、自分たちは、「丘にある町を築き、ほかの町の見本になる」という建国精神がありました。その丘はキリストがマタイ5~7章で語っている、山上(丘の上)の説教にある内容の実現のことを意味していると言われます。ここでキリストは具体的な倫理的な教え、行動基準を述べています。その中で、自分たちが「光になり」世に神の存在を示す(マタイ5:10)という言葉があり、その「光」がこのスピーチの隠れたテーマになっています。マサチューセッツ、プリマスコロニーの総督であったJohn Winthrop(1587-1649)が"We shall be as a city upon a hill, the eyes of all people are upon us."「我々が丘の上の町になり、全ての人が我々を見る。」と言ったことが有名になり、アメリカは世界の模範的な国家を目指すというテーマがあります。「丘」とはアメリカ自体のことであり、自分たちアメリカ人自身がアメリカであるという意味付けにもなります。これは「光」とあわせて、スピーチの最後で明らかになります。

 

2)現状認識

We've learned that quiet isn't always peace.  And the norms and notions of what just is Isn't always just-ice

「おとなしくしていることが平和ではなく、正しいことの規範や概念が「正義」(韻をふんでいる)ではないことを学んだ。」おとなしくしている中で、平和が崩され、間違ったことに歯止めがかからない、今のアメリカの現状を語っていますし、何もせず、トランプの嘘に加担していた議員たちに対する皮肉も入っています。

 

3)我々の立場

And yet, the dawn is ours before we knew it. Somehow, we do it. Somehow, we’ve weathered and witnessed a nation that isn’t broken, but simply unfinished.   We, the successors of a country…

「でも私たちが知る前に夜が明け、我々がやる時がきてしまった。私たちが目撃し、なんとか切り抜けたのは壊れた国ではなく、未完の国。私たちはその国の継承者であり、…」

この後で、奴隷の娘が大統領になる夢を持て、今その大統領に語っているということで、実際のその場の体験を述べることでアメリカ人の夢と希望、そして自分たちが作るアメリカという未完の国への参加意義を効果的に再認識させています。

 

4)我々の課題

And yes, we are far from polished, far from pristine, but that doesn’t mean we are striving to form a union that is perfect. We are striving to forge our union with purpose, to compose a country committed to all cultures, colors, characters and conditions of man.

「我々(アメリカ人)は洗練されているとはとても言えない。清純でもない。だがそれは完全な一致というものに向けて努力しているわけではなく、人間のあらゆる文化、肌の色、性格、状況を許容する国を作るとう目的に対する一致に対する努力である。」この後で、未来の為に違いをわきにおこう、共に結ばれ勝利を得る、分断の敗北を二度と味わうことなく、分断をうえつけないといった一致の意義を語ります。アメリカの目指す姿がかかれています。今回は白人至上主義の人たちがトランプのサポートを得て暴動にまで発展しました。ただ、その方向がアメリカが目指す方向ではないことは、明らかであり、それを再認識しています。アメリカは異なる人々が一体になり形成される国なのです。

 

ミカ書4:4の意義 5)アメリカの国としての宗教的意義

この後で彼女は旧約聖書のミカ書4:4を引用します。この聖書の引用に関してあまり報道がされていないのが残念ですが、これはとても意義があり、更にはタイムリーな引用で、ここで私はとても感動しました。

Scripture tells us to envision that everyone shall sit under their own vine and fig tree, and no one shall make them afraid. 

「聖書は『人はそれぞれ自分のブドウの木の下、イチジクの木の下に座り、脅かすものはいない』ということを想像するようにと語ってます。」

ミカは旧約聖書の預言者の書ですが、12人のMinor Prophet (小預言者)の一人であり、紀元前8世紀ごろ、ちょうど北のイスラエル王国がアッシリアにより崩壊する紀元前722年ごろに南のユダ王国にいた預言者です。人々の退廃によるエルサレムの崩壊などを予言する一方、ベツレヘムに救い主(イエス)が現れることを予言しています(5章)。4章はそれまで罪によりサマリヤやエルサレム(ユダ王国)が破壊されると書かれているのに対して、なぜか、「主の家の山」は固く建ち(4:1)、異邦の民が流れ来て(4:2)、主が裁き、戦いを習わない(4:3)とあります。「主の家の山は丘々よりそびえたち」とありますが、このポエムの「丘」は主の家の山を目指すプロセスであり、主の家の山がアメリカだと比喩しています。ブドウの木、イチジクの木というのは聖書でよく出てくる植物ですが、ブドウの木はイエスを表し(ヨハネ15:5)、イチジクの木は神によるこの世の恵みをしめしているとも言えます。イチジクは、創世記で生命の木、善悪を知る知恵の木(創世記2:9)の次に出てくる木でアダムとイブが裸でいることに気が付き、身にまとった葉の木(創世記3:7)とあるからです。つまり、それは、神の地上における恵です。アメリカは神の導きの下に恵まれた国であり、トランプがアメリカが弱くなったので、Make America Great Again というけれど、そんな余計な心配はいらないという意味にも捉えることができます。

 

That is the promise to glade, the hill we climb if only we dare it. 

「もし我々が挑戦するのであれば、それが、輝かしい地、我々が登る丘の約束だ」

Gladeを「空地」と訳する人がいるかもしれませんが、GladeにはGladやGleamと同じ語源があり、そこには輝かされた土地というニュアンスがあると理解します。ここでいう約束は神の約束、そしてManifest Destinyのようにアメリカ人が共感するアメリカの存在意義としての丘を表しています。

 

ジョージワシントンとミカ44 (6)アメリカの原点に戻る)

この聖句を引用するのにはもう一つ大きな意義があります。ワシントンDCの観光スポットにアメリカの初代大統領ワシントンの家Mount Vernonがあります。そこに行ったときに知ったのですが、ミカ4:4はワシントンがよく引用した聖句であり、ワシントンは、軍の抑圧から解放された農民たちのことをさすこの聖句をアメリカ独立の象徴と捉え、安住できる地の象徴としてアメリカを語っていたと言われています。つまりここでこの聖句を引用するのにはアメリカ建国の原点に戻るという意義も含まれています。

Because being American is more than a pride we inherit; it’s the past we step into and how we repair it.

「アメリカ人であることは私たちが受け継いだ誇り以上の意味があり、過去に踏み込み、そしてそれを改善することです。」

America Firstで、自分たちの誇りのみに執着した過去から、より謙虚に自分たちの至らなさを知り、それを改善しようという「アメリカ人」であるということ。それが語られています。とても謙虚でクリスチャン的な表現です。

 

7)アメリカにおける民主主義の意義

But while democracy can be periodically delayed, it can never be permanently defeated. In this truth, in this faith we trust, for while we have our eyes on the future, history has its eyes on us. This is the era of just redemption. 

「民主主義は時によって遅れることもあったが、決して永遠に滅ぼされることはない。その真実が我々が心から信じるものであり、我々は将来に向かっているけど、過去が、その歴史が我々を見ている。我々の時代は罪を贖う時代なのだ。」

 

Redemption は日本語では贖うと言いますが、ピンとこない人もいるかもしれません。これは罪の「償い」とは異なります。キリスト教用語で、キリストが十字架にかかったことの意義の一つとして全ての人の贖い(Redemption)があると言われます。償う場合には犯した罪の穴埋めをするという行為になりますが、キリスト教の世界での贖いは、「聖められる」「正しいものとされる」という意味があります。罪により神との関係が途切れていた人が、関係を修復し、更には正しいものとされるということで、罪からの解放、心理的な自由をさしています。なので、そのあとに続く offer hope and laughter to ourselves「希望と笑顔が戻ってくる」という結果があります。つまり、民主主義に対する攻撃という罪の最終形は罪をとがめることではなく贖うことであるということ。ここに神の元の一致の原則があります。やや、現在議会でトランプ「元」大統領を弾劾して、永遠に追放しようといったような動きがありますが、それとは別のことを意味しているといえます。

 

8)アメリカの分断にどう取り組むべきか

Our blunders become their burdens. But one thing is certain, if we merge mercy with might, and might with right, then love becomes our legacy, and change our children’s birthright.

「私たちの失態が彼ら(我々の子孫)の重荷となる。でも一つ確かなのは私たちが持つ慈悲の心と力を、力と正義を合わせれば、愛が我々が残す遺産となり、我々の子供たちの生まれながらの権利となる。」

キング牧師のスピーチのようにこの後でアメリカの各地域を具体的に述べますが、ここで言っているのは、分断されてしまったアメリカの一致とそこにかかわる許し、そしてその許しの結果としての一致が出てきます。生まれながらの権利とか、子孫とか、旧約聖書的ですが、非常に意義深い表現であり、「愛の遺産」というキリスト教的な表現になっています。トランプ支持者は福音派のクリスチャンが多いのですが、暴徒と化してしまったその支持者にも響くのではないかと思います。

 

9)光とアメリカのTranscendentalism

The new dawn blooms as we free it. For there is always light. If only we’re brave enough to see it. If only we’re brave enough to be it.

「我々が解放することで、新たな夜明けが花開く。実は光はいつもそこにいた。我々が勇気をもってそれを見れば。我々が勇気をもってそれになれば。」

 

なんとも意味深い終わり方です。このポエムの出だしはこうでした。When day comes we ask ourselves, where can we find light in this never-ending shade? 「一日が始まると我々は自分たちに問いかけます。この終わりのない影の暗闇にどこに光をみつけだすことができるだろうか?」光は希望であり、その答えがこの最後に自分たちの中、自分たちの勇気を持った行動の中にあるということを示唆しています。そしてそれは暗闇=罪から、自分たちが解放することで、見えてきます。というかそこにあったことを再認識します。この完結は実に美しい表現です。光というと聖書のヨハネ1:5「光は闇の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」を思い出し、イエスのことをさし、キリストに導かれる国の実現に戻ることを示唆させます。ただ、勇気をもって光になるという表現を見るとなんとなくTranscendentalism を感じます。ハーバード大学神学部はUnitarianの伝統があり、Transcendentalism に影響を与えているので、Amanda Gormanはハーバード大学を出ているので、その影響があるのでしょうか?Transcendentalism とは日本語で「超絶主義」と訳されるそうですが、今から200年程前にアメリカのニューイングランドで盛んになった神学的・哲学的な思想です。元々は欧州の神学者の Schleiermacher 等が提唱し、哲学者カント(1724-1804)などが確立していった批判哲学、認識論などがアメリカで影響を与えたものです。具体的には、教会や社会といった人間が作り出すものはもともと不完全であり、汚れた要素がありますが、神が作り出す自然の中で完全である神と一体になれるというものです。日本では内村鑑三が有名ですが、無教会主義を提唱したハーバード大学神学部出身のエマソン(1803-1882)がTranscendentalismの提唱者だと言われます。そこでキーワードになるのが、Light(光)です。神のSublime Beauty(荘厳的な美しさ)は自然の中にあり、人間も神の創造により、Inner Light (内面の光)を持っています。そしてそれを体験することにより人間は光を認識し、その光により統一(Unify)があるということです。光に始まり、光で終わる。そして自分たちが光になり統一がなされるという何とも素晴らしいメッセージです。この光と光の認識、そして光の体験による統一という趣旨は、私は聞いたときにその奥深さを感じ、子供のように若々しい詩人のAmanda Gormanに敬服した次第です。

 

10)言葉の力

詩は言葉の世界です。トランプが思い付きでチープな嘘の言葉を次々とTwitterに流すことが人々の分裂を加速させ、火をつけ、暴動にまで発展しました。同じ言葉であっても、この詩のように深みがあり、人々に感銘を与え、モチベーションを与える物の価値は大きいと思います。ヨハネによる福音書の初めに「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」とあります。アメリカの多くの白人の福音派クリスチャンが言葉の本質を忘れ、トランプを熱狂的に支持する姿は非常に悲しい限りです。多数を占める80%もの白人福音派クリスチャンがトランプの支持者なので、トランプの中核的支持層がなぜか敬虔な白人福音派クリスチャンなのです。真実に従わないとそこには滅びしかありません。共和党議員が自分の支持率低下を恐れ相変わらずトランプをサポートしています。そして1月6日の暴動を扇動したにもかかわらず、相変わらずトランプの支持はそこまで落ちていません。不思議です。

日本では大統領就任式の模様、そしてAmanda Gormanの詩は報道されたでしょうか?翻訳とかされたでしょうか?アメリカとはどのような国なのかを理解するのにとても良いので是非ともその詩を読んでもらいたいです。Amandaは2036年の大統領選に出る計画があるらしいので、将来のアメリカに期待したいです。