最近の円安の議論の中で実質経済の話がよくでてきます。日銀の為替介入があろうが、アベノミクスのような政府の経済政策があろうが、日本経済が実態として競争力がない限り国は貧困化していきます。日銀がやっている莫大な市場介入や、日本政府がやっている莫大な財政赤字は日本国民の「真面目さ」に支えられているということを忘れてはなりません。具体的には日本人は「働くことに社会的責任を感じていること(お金のため以上の意義を感じていること)」、「借金より貯金をする傾向があること」、「税金をしっかりと払い海外に逃げない事」、「金利が低くても日本円を信頼して日本円で普通預金に入れていること」、「安い給料でも真面目に働く人がいること」、「技術が高い職人が多額の報酬を求めないこと」こういった国民特性のことです。さらに日本は民主主義と言っても、国民は政府に対して忠実であり、社会を乱す非生産的なこと(激しいデモ)などはありません。こう言った国民特性のある国をGovernするのは簡単ではありますが、大きな責任があるということを忘れてはなりません。80年代に安倍晋太郎氏(安倍晋三元首相のお父様)の団体で働いた際に、アメリカの政府の高官と自民党の代議士や秘書達の雑談などを身近で見て、漠然と感動しました。但し、後にジョージタウン大学に留学し、NHKワシントン支局でのインターンなどを通じてアメリカの政治家のことをよりよく知るようになると、アメリカ政府と自民党の関係はヤクザの親分とチンピラのような関係に見えてきました。アメリカのような大国は日本をかつて戦争で破った同盟国の一国としてしか見ていないのに対して、日本はアメリカを親分として忠実にサポートしているということです。ただ、実際にアメリカがそこまで日本に対する思い込みはありません。それが80年代当時に貿易摩擦で揉めていた日米関係における私の大枠での結論でした。さらにはアメリカという国も内部分裂や統一性の低い脆弱的な部分があることも忘れてはなりません。だから日本は台湾有事の際などに戦争に巻き込まれる可能性はありますが、アメリカ国民が命をかけて日本と助けるというような関係にはならないと思います。日米関係は不沈空母ではなく、それを言った日本(中曽根首相)が一方的に思っている片思いに過ぎないのです。

 

そのような政治体制の中では色々な点でミスマッチがあります。というのもバブル崩壊で経済が苦しんでいる間にアメリカはテクノロジーの分野で大きく成長し、新たな経済の活路を見出しました。逆に日本はアメリカの批判を真面目にうけ、テクノロジー分野などでは不利な貿易状態に陥り、過去世界でリートしていたメモリーや半導体の分野では大きく市場を失うバカな結果を生みました。その間、内需拡大をしろ的な批判を受け、日本政府はそれに焦点を当てていました。ただ、中国とのビジネスを拡大させ世界に格安の商品が溢れる中、バブルで懲りた日本人はそこまで需要を上げることはなく、過去30年国民生活は徐々に貧困化していきました。私は過去30年アメリカで生活しているので、日本を断片的にしか見ていませんが、この30年で、日本の道路は高級車から軽自動車、高級な百貨店から安売り100円ショップと街中の様子は大きく変わっていきます。デフレと同時に貧困化が進んでいたのです。

 

こう言ったビジョンのない国は今後とも衰退していくでしょう。そして目の前で見えている以下の兆候が前述した日本国民特性をも崩壊させる大きな問題を生むということを理解しなければなりません。

 

1)人口減少と、中小企業の労働者不足:岸田政権では意味もなく国民の給与を上げようとしています。つまり、円の価値低下と世界規模のインフレの中、給与を上げることで、国民負担を削減しようというものです。(更に年金を相対的にあげないので、高所得者に流動性の低い貯金を使わせようということもできます)。ただし、現時点で実質賃金は上がっていないので、世の中をより大企業の勝ち組(円安でも海外で儲けれる)と負け組(日本の中小企業は給与を上げれていない)に分かれていきます。私は長年日本の自動車産業のコンサルタントをしてきましたが、その強さの根底にあるのが親分である自動車メーカーと子分であるサプライヤーの関係です。多数の日本の中小企業が大企業をサポートしていますが、親分からのコスト削減に対するプレッシャーは、サプライヤーに一方的に出され、その結果として中小企業が給与を上げることができないという実態があります。中小企業を支えていたのは安い給料でも真面目に働く熟練労働者です。ただし、彼らは高齢化し、その代わりになる若者や移民は同様の苦痛を受け続けることはできないでしょう。最終的に下(中小企業)から崩壊が始まり、日本企業は競争力を失っていきます。

 

2)増税と高齢化による民間経済への海外への流出:日本政府の財政赤字は税金でどこかで賄われなければなりません。更に高齢化が進むと、社会保険料が増大しより財政赤字は増えていきます。世界的なリベラル経済の中、世の中は勝ち組と負け組に分かれますが、勝ち組である高所得者は増税を逃れるために海外に逃げることが想定されます。というのもアメリカを含め、金持ちはどこの国でも歓迎されます。少子高齢化で全需要が減っていく国にいるより、よりチャンスがある海外の方が資産価値を下げない上で魅力があります。教養の高い人や高所得者が日本を出てしまうと日本は経済を動かすエネルギー時代を失うことになります。日本はむしろ小さい政府にして、現段階の歳入で政府が回るような体制にし、将来的に税金が低い国にしないと、将来的に空洞化が進みます。

 

3)日本人の倫理崩壊:日本人は自然災害があっても、戦争で何の保証もない中、多くの人が死んでいっても文句も言わず耐える国民性があります。円安で国民として貧困化していても愚痴は言いますが、デモはしません。ただ、鬱病のように、表に出なくても中から崩壊することがあります。それは相対的に国民全体としての教養レベルの低下や将来のことを考えず、目の前の楽しみのみを追いかけるといった基礎倫理の変化になります。「真面目に働く」「給与が安くデモ文句を言わない」こう言った日本経済を支える基礎的な国民倫理が崩壊すれば、日本としての製造業の競争力もなくなり、必然的に経済は崩壊していきます。そして忘れてはならないのが、モラルの崩壊の責任はリーダーである政府にあります。企業のコンサルをしてきた経験からいうと、モラル崩壊が再建イニシアチブを取る際に最も困難な問題になります。人間が「気持ち」から死んでいくように、「モラル」が国崩壊に結び付きます。

 

私は昔から極端に悲観的な日本の将来を語ってきましたが、実際そのように時代が動いているので非常に悲しくなります。但し、全く違う形で日本が素晴らしい国になっている可能性もあります。例えば、日本人の20〜30%が外国人になり、特に中国からの移民などが増え、韓国や台湾と一緒に民主化キャピタリズムの経済圏として成長するというものです。特に優秀な若者を日本に集めることができ、テクノロジーや製造の分野で競争力の維持ができれば日本の将来も明るくなります。ただしそれらは現状維持では無理なので、新たな若いリーダーが出て新しい日本のVISIONを語ってもらいたいと思います。

 

人生の中で最も重要な探索は自分のパートナー探しです。一度しかない人生なので、最適なパートナーと最高の人生を過ごしたいものです。現代は歴史的に最も人々が移動し、更にはテクノロジーの進化により、より多くの人と簡単に色々な人と出会いができる時代です。ただ、そんな中で離婚率は上がり、未婚の人は増え、それに少子化という社会問題が寄与しているとは何とも皮肉な社会です。恋人を見つけることはできるが結婚相手が見つからないのは何故かということを今回は考えてみたいと思います。

 

AI同様にマッチングアプリにしても結婚相談所にしてもアルゴリズムが適切に設定していなければワークしません。相手に求める要素として、所得、年齢、学歴、身長(体系)、趣味などを標準化するのは間違いです。というのも人はそれぞれ人生でパートナーに求めることは異なります。むしろなぜそれらを求めるのかというのを突き詰めなければなりません。例えば、所得であれば経済的に自分を支えてくれること、学歴であれば知恵や知識により自分の徳を高めるということなど考えられますが、同様に年齢や身長、趣味に関してもなぜその要素を求めるのか考える必要があり、優先順位を決めるというアルゴリズム設定が必要になります。自分が人生で何を求めているかが明確でないが故に一般的な基準値に従っているのです。なんとなくであるから故に時間の無駄、或いは妥協、失敗が起きてしまします。但し、前述したとおり、自分が相手に求めることが明確であれば、無駄に面会したり、チャットしたりする時間を投資する必要もなくなります。相手に求めることの優先順位が明確に決まっていないという問題があるから、無駄に時間を使い、なんとなく年だけとっていくのです。

 

聖書の中にはアダムのパートナーとしてアダムのあばら骨からイブを神が作るとあります。人は女性から生まれてくるのでアダムからイブが作られるというのは何とも不可解な点ではありますが、多くの国で歴史的に家庭の中では男性が家長(head of household)としてイニシアチブをとってきました。なので、力のある男性は好き勝手に条件をつけ、自分の好みの女性を見つけてきたのではないかと思います。女性の社会進出が進み、女性も家長になれる、あるいは男性と女性が同じレベルで家計に貢献する時代になると、女性も相手に対する条件設定をして、お互いの条件設定がかみ合わない限りパートナーという関係を構築するのは困難になりました。なので、マッチングアプリなどのシステムは効果的に機能するはずです。そんな社会の中でもまだパートナー探しに奔走してしまうのはなぜなのでしょうか?

 

テクノロジーが進化すると広く浅い関係が広がり、そこに多くの時間を費やすようになる落とし穴があります。結婚は人生に最も大きなインパクトがあるイベントであり、結婚をするというのは密に深い人間関係に入っていくことを意味します。だから人間関係を深める為には、人生に対する捉え方、価値観、そして人間関係を深めていくための努力とスキルが必要になります。

 

1)        自分自身の未熟さ:ライオンの世界でも、トドの世界でもメイトできる男性の数は限られています。これは適者生存の自然原理における基本であり、全てのCREATIONの中でメイトできず子孫を残すことができない者は必ずいます。妊娠出産ができたとしても、未熟な状態であれば子孫の生存は困難になります。高学歴の人の中には性的関係を持つことを控える人も増えています。というのも、その結果としてありうる責任、妊娠、出産に対する備えができていないという未熟さを理解しているからです。性的快楽の為に恋人を作るというのはまさに人間としての未熟さの表れであり、未熟な状態では成熟した人間関係を構築するのは困難なのです。未熟な状態で結婚をする場合は、お互い短期的に成熟することに関する覚悟が必要になります。相手を探している状態で未熟な人はまずは自分自身を成熟させることに集中すべきです。女性の場合は妊娠出産というバイオロジカルな、状況によっては優位性、時間的には限界性のある要素があるので気を付けなければなりません。自分が未熟であっても、成熟を相手に求めればパートナーを見つけることは可能ではあります。但し、結婚をするということの意義と目的を十分理解していないと、準備不足でパートナーとの人間関係を深めることには失敗し、結果として破綻することもあります。続いたとしても依存性のみが生涯残ることもあります。

 

2)        ビジョン、価値観の共有:結婚相手を探すのに、趣味があうとか気にする人がいますが、人生におけるパートナーの場合は趣味以上に人生における意義や価値観の方が重要になっていきます。というのもパートナーとは、人生の貴重な時間を共に過ごし、共に家族を築き、共に老いていくのです。将来どのような人生を歩みたいと思っているのか共通のビジョンがあればそれに向かって一致団結できます。子育ては多くの家庭で持つ共通のゴールになります。但し、子育ては一過性のものなので、できれば何を将来の幸せとして考えられるのかを明確にしておくと楽でしょう。企業でいうビジョン(Mission Statement)です。更に自分が人生において何を大切に感じ、何を軸にしているかという部分も共有する必要があります。企業でいう理念(Value Statement)です。宗教や親や家族との関係、仕事などの優先順位と価値観です。多少趣味が入る場合もあるかもしれません。それが共有できればパートナーシップは成り立ちますが、共有できなければ成り立ちません。まずは自分でこの部分をはっきりさせておかないと無意味に相手探しをすることになります。

 

 

3)        自分の特性の理解不足:付き合っても結婚までに至らない。結婚しても離婚してしまう場合は、自分の特性と相手の特性がうまく一致していないことが考えられます。世の中でいう性格の不一致がそれなのですが、それには自分自身の特性を理解すると同時に相手とのチームワークをはぐくむ努力が必要です。デート、交際をする際にはこの部分を見極め、結婚に発展するかの見極めをすると同時に絆を強める必要があります。というのも、パートナーと自分がどのような関係にあるのが自分にとって自然なのかを理解していないと問題に直面した際にパートナーシップに破局が訪れるからです。Master(主人)とServant(召使)の関係はプラスとマイナスのようなもので、どちらかが優勢で、どちらかが従属的な状況は円滑に物事が進みます。息の合うカップルの場合は状況により主導的、従属的な関係を成り立たせることができます。相手と付き合う際にはこの主導的、従属的な役割をロールプレイしていく中でパートナーとしての適性、強さが試されていきます。交際をする際にはだらだら長い時間をかけるより、共通の体験の企画と実行をする中で相手とのパートナーシップがうまく回転しているのかを判断するのが効果的です。徐々にうまくいく場合もあるので、見極めが重要になります。2~3年一緒にいってこの部分で答えが出ないようであればそれは縁がないのかもしれません。ただ2~3年という時間は長いので、できれば短期でこの部分を見極めてしまった方が良いかもしれません。

 

a.      主導的な人のアプローチ:主導的な人間は自分からビジョンを示し、楽しみながら企画と実行ができます。それを負担に感じてしまう場合はあまり主導的ではない場合もあります。主導的な人はパートナーと楽しみを共感することにゴールをおいているので、常に相手が楽しんでいるかどうしているかを気にかけているはずですし、企画にも相手のIPを必ず入れてきます。

b.      従属的な人のアプローチ:従属的な人の場合は、主導的な人の企画の中で自分の役割を見出し、主導者が企画を成功させる喜びを共に感じるという体験を実現していきます。適切にタイミングよくフィードバックをし、自分が与えられた役割をしっかりと果たし、喜びを共有し、共感していきます。

これらの役割を得意分野別に交換していきながら相手との相性を高めていく努力をしていけば必然的に二人の絆は強くなっていきますし、相性の見極めもできます。

 

4)        愛に関する理解とコミットメント:婚活をしている多くの人は恐らく結婚相手を探すの胸のときめきを求めるのは違うということをわかっていると思います。ギリシア神話に出てくるキューピッドと心理学(Psychology)の語源になった美女PSCYCHIとの話はまさに美しさに魅かれておかしくなってしまう状況を表現しています。結婚は長期的なものであり、美しさは衰え、むしろパートナーとしての相性が愛情となっていきます。つまり時と共に愛情は深めなければならないのです。相手から愛情を求める以上に自分自身が愛に対する理解と成熟がないと長期的に愛情を持続させることは困難です。聖書のコリント人への第一の手紙13章にある愛を夫婦の愛にあてはめることもできます。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。 一方的に自分が耐えてもよくないので、夫婦が共にこのように愛を高めるコミットメントをするのが結婚であると思います。だから結婚の際はこの聖句が良く使われるのです。相手と結婚するかどうか最終的な決定要因というのはお互いが上記の愛情を深めていく努力をする覚悟があるか確認するというものです。愛のない結婚は悲惨です。

 

夫婦関係、恋人関係が長く続かない、恋人から夫婦になれない状況には、どちらかが人間関係をどう深めていくのかということに対する理解とコミットメントが不足していることが想定されます。恋人に「告る」ということが恋人関係の始まりでありますが、恋人になるというのはそういったコミットメントが伴うということを明確に教えなければなりません。学校で盛んに性教育をする以上に人間関係構築の教育をすることの方が人生の成功には重要ではないかと思います。学校、就職先、友人関係などコミットメントが不足しているのが現代社会の欠点です。その場だけ良ければ良いという短期的な考えだけで長い人生における幸せをつかむことはできません。長期的な人間関係を構築するにはまずは上記の4点を参考にしてみると良いでしょう。

世界史で学ぶ大航海時代というのはグローバル化の始まりになります。フランシスコ・ザビエルの来航以降日本にもその波がやってきましたが、日本は鎖国を続け、明治時代以降も独立を保つことができました。外国との接点が少なかった故に日本は独自のカルチャーや人間関係のシステムを構築しました。ここに日本人が英語ができない本当の理由があります。

 

以前から言っていますが、日本人の英語の水準はどうみてもよくなっていません。むしろ外国人が日本に来て数年で日本語をマスターしてしまうので、そこまで日本に住む日本人が無理して英語を勉強する必要性はないように思えます。というのも日本にいる最近の外国人の多くは日本の文化を好み、同化しようとしています。言語はカルチャーであり、それを習得するのには文化理解が不可欠です。私の子供はバイリンガルですが、Covidの間に日本で中学校に通った娘と違い、息子が日本語で話をするのは礼儀がなっておらず、むしろ英語で話していた方が良いのではないかと思うことがあります。それは日本の礼儀や話し方を知っている娘と違い、息子は日本語を話すときもアメリカ風に話をするからです。バイリンガルの人は、日本語の場合はバイカルチャル(Bi-Cultural)でなければなりません。だからこそ、日本語を話している姿と、英語を話している姿は別人のように見えたりします。日本語を話す際には日本語で考え、英語で話す際には英語で考える習慣がつき、それが別々のパーソナリティーに見えるのです。この文化的な壁が厚いからこそ、別々のパーソナリティーにならないとまともなコミュニケーションが成り立たないのです。

 

日本の文化はがっつり学校で叩き込まれます。そしてそれがコミュニケーションとしての英語学習に関しては阻害要因となるので、いつまでたっても英語によるコミュニケーションがうまく取れなくなります。「書く分には、聞いている分にはわかるけど、話せない。」というのはまさに日本教育の優等生が陥る英語障害です。この原因となるのが日本における教育の以下の特徴です。

 

1)周りに合わせる文化:日本は周りとの協調が重要視される社会です。「空気を読む」ということを良く言いますが、周りに対する配慮がその前提にあります。歴史的に日本人はコミュニケーションにおいて厳しいルールがあり、自由に思ったことを言う前に必ずと言っていいほど、周りの状況を確認します。アメリカなどでもある程度周りに配慮はしますが、その度合いが異なります。日本が周り>自分であるのに対して、アメリカではある程度周り<自分という具合です。日本人の中には自分が言うことに対するリアクションを恐れるがばかりに、きちんと外国人に言うべきことを言えない人もいます。私がビジネススクールに行っていたころに、クラスの殆どがケース分析の議論なのでそれについていけないと多くの日本人は悩んでいました。皆TOEFLで満点近い人ばかりだったので、英語の問題ではないと思います。発言が成績に反映するので、その発言の適切さを考えすぎたが故に会話のスピードについていけなかったのです。協調性重視社会では周りの意見=自分の意見となってしまう傾向があり、自分の意見、自分の考えを形成し、主張する能力が伸びにくくなります。

 

2)間違いを恐れる文化:話をする良い点は、すぐ訂正できるという点にあります。日本とアメリカの仕事の違いとして、アメリカではかなりバーバルコミュニケーションが多く、電話などで仕事がどんどん進みます。会話の中でコミュニケーションにおける誤解や間違いを但し、しっかりと意思疎通をするというプロセスを経ます。だから会話における間違いや誤解に関しては肝要です。日本の英語教育の中では常に答えは一つであり、間違うと正すという習慣があります。大学生の時に黒人の家庭にしばらくいたことがありますが、そこで話す英語は明らかに通常の英文法を無視したものでした。言葉はコミュニケーションのツールにすぎず、間違いはつきものです。特に外国語の場合は聞く相手も決して完璧な英語は求めません、意思疎通をする方が重要なのです。日本の減点方式の英語教育はコミュニケーションを躊躇させ、英語を伸ばす阻害になります。

 

3)法則重視の文化:日本の教育は先生がやり方を教え、それに生徒が従うということが主体です。実際にはこのやり方には色々な種類がありますが、学校教育の基本要綱に沿って形を教えられます。そして日本人はそういうHOW TOが学習の基本として感じているので、本屋には意味のないHOW TO本が並び、その本を読みHOW TOを身に着けることが教育だと勘違いしています。日本のHOW TO教育は工場の労働者など、決められたことをする仕事をする人間を養成するのには向いていますが、決まりがない未知のこと、全く新しいことを開発するのには向いてません。アメリカにおける議論の中には人々が異なる視点から意見を出すことで、その中から何がベストなものであるかというのを導き出すという思考プロセスがあります。そして議論を構成する能力や説得をする論法が重要になってきます。この議論能力は学習習慣にもなるので、アメリカでは小学校からスタートしています。アメリカの教育の中でも当然ある程度のHOW TOはあり、共通テストなどはHOW TOをクリアすれば高得点を取ることができます。但し、それがすべてではなく、むしろ独創性や議論能力、リーダーシップなどの方がより高度な能力として求められます。だからアメリカの良い大学などでは面接を実施しています。つまり、法則にしたがう人より、新たな法則を導き出す人の方が評価されるのです。

 

 

4)日本語主体の教育:日本で英語を学ぶと、常に日本語に戻し、日本語でなんというかを考え英語に訳して話すという習慣があります。言語は文化であり、日本語日本文化で英語の欧米文化を語るのには限界があります。更に、日本語の会話は一般的に英語の会話に比べのんびりしており、回りくどい言い方が横行しています。アメリカでは端的にわかりやすくコミュニケートをすることがその主体にあります。更に、そのコミュニケーションにおける効率性も求められるので、かなりのスピードで議論が進みます。日本の学校ではアメリカのような激しい意見交換をハイスピードでやるようなものは存在しません。それが故に、対等に海外の人と議論するのは大変でアメリカの大学のケース分析などで苦労することになります。

 

英語のコミュニケーションを身に着ける方法

実をいうとこれはそれほど難しくはありません。最初から二つの文化、二つの言語を習得する習慣をつければ良いのです。最近、日本でインターナショナルスクールが人気があると聞いています。ただ、それはただのムダ金にしかありません。日本の教育にも良い点があり、日本に住んでいるのであれば、日本の文化、言語、そして流儀をしっかり身に着ける必要があります。それがないと日本から来たくせに何も日本人らしさのないつまらない人間になります。低コストで日本の公立校に行くことにはそれなりのメリット、意義があります。日本に住んでいる以上は、日本>海外でなければその意味はありません。英語力、或いは海外の文化、言語を身に着ける為にはその文化に一定期間浸る(IMMERSION教育)体験が効果的です。そしてその期間はそれほど長くなくても大丈夫です。例えば夏休みとか、或いは半年程度、子供をアメリカの学校にやるということを小学校、中学校、高校などで継続してやるだけでかなりの能力がつきます。ちゃんと親がVISAを取得すれば子供をアメリカの公立校に無料で入れることができます。だから子供を日本のインターナショナルスクールに入れる費用で、自分でVISAを取りアメリカで働くとか、勉強し、そこに子供を一緒に連れていくというのがベストでしょう。子供の教育は大学で莫大な費用がかかるので、小学校や中学校などではむしろ体験教育を自分で実施することにお金をかけた方がいいですし、アメリカの大学受験ではそれまでのバックグラウンドがかなり重要になります。「日本に住んでいる日本人がわざわざお金をかけてインターナショナルスクールにいった」というバックグラウンドには何の価値があるのでしょうか?私は日本では公立、国立の教育しか受けていませんので、特に私立の良さについてはわかりません。但し実際に社会に出ると必ずしも私立の教育を受けたから良いという証拠はありません。更に、中途半端に国際教育をすると日本語、日本文化、日本人が持っている独特の勤勉さや協調性が身につかないような気がします。私は日本のインターナショナルスクールを出た優秀な日本人にはあったことはありません。学習という巨額かつ子孫繁栄に重要な投資に関してはしっかりとそのROI(投資効果)を考える必要があります。

「公務員は安定しているから良い」そういうバカなアドバイスを聞いて公務員になる人は後悔するでしょう。70年代には鉄鋼が良い、80年代には金融が良いと、日本人の多くは現状を見て将来の選択をする傾向があります。そういう短史眼的な人は戦略的な発想ができずに失敗します。株の投資、就職、更には結婚相手を選ぶのにも失敗するでしょう。自分の判断の結果として将来があります。間違った判断をすれば将来は悪い方向にいきます。そして判断をするには将来を見抜く能力が必要になります。人生は判断の連続です。賢い判断ができる能力は何よりも重要な能力です。

 

私は以前、日本を代表する企業はグローバル化して、雇用、投資という点での貢献は減り、産業として観光ぐらいしか将来性がないといいましたが、実際そのような状況になりつつあります。今回は公務員が大幅にダウンサイズされることについて書きます。これは常識的に考えて簡単に想定できます。少子化、経済停滞の中、税金で成り立っている公務員の仕事はむしろダウンサイズされねばならないのです。更にはAIやロボットといったテクノロジーの進化を見れば明らかにある単純な事務作業は減るということが言えます。そして社会に生産を生まない、公務員という仕事は貴重な労働力を投資する必要はないのです。パブリック・ポリシーを決める機能は必要ですが、本来その機能は政治家のもの、政治家のスタッフがすべきことであり、公務員の枠外になります。もし以下の理由付けに反論できないのであれば、公務員をしている人に転職を勧めましょう。

 

1)少子化と町村合併:少子化の影響は既に地方で出てきています。そんな中、住民税にしても中央政府からの予算にしても上がる見込みはありません。むしろ縮小していきます。その手続きとしてあるのが町村合併であり、役所の機能が集中していきます。全体としてのPositionが少なくなっていきます。二つの町村が一つになれば、一つの役場がつぶれ、その人たちは職に溢れます。

 

2)AIとテクノロジーによる事務作業の削減:AIはコンピューターが判断をしてくれるという機能です。たまたま消費財の最大市場である自動車産業が投資しているので、運転手がいなくなるといった予言がされていますが、それより簡単に導入できるのが公務員の仕事です。役所に行けばわかりますが、テクノロジーが使えない年寄りに意味もなく丁寧な担当をしている公務員がいますが、そういう年寄りは減り、更にそのような懇切丁寧なサービスを提供する余裕がなくなってきます。フォームを記入して記入内容に応じて補助金を出したり、登録を変えたりといった業務は最もAIに適した簡単な判断になります。AIは速いスピードで一般化していき、役所も導入せざるを得ない日が来るでしょう。

 

3)意味のない給与:日本は他国と比べて公務員の給与が平均給与より高くなっています。これはあってはいけない状況です。税金を使い、人々へのサービスとして奉仕をする公務員は公のメリットを最大限にしなければならないのです。例えば、アメリカでは障がい者や貧困者の雇用調整の場としても、公務員の仕事があります。民間で仕事がないからこそ役所で仕事を見つけてあげる必要があるのです。だからこそ、民間より高い給与を出す必要性もないのです。政策決定者以外の仕事はルーチン業務であり、高い給与を出し、能力が高い人を雇う必要はないわけです。役所がいばっていて、給与も高いというのは共産主義国家のようです。

 

4)能力育成の不適合:役所ではどのようなスキルを、なんの社会的なメリットの為に伸ばす必要があるのでしょうか?最近役所はやたら丁寧に対応をすることに力をいれているようですが、そのようなサービスを上げる必要性はあるのでしょうか?若い人は社会に貢献できる新しいテクノロジーや技術を身に着けるべきでありそれができない国は競争に敗れていきます。

 

5)政策の間違いの認識とそれに伴う社会的圧力:日本の財政赤字は雪だるま式に大きくなっています。財政赤字は国債でまかなわれていますが、誰も買わないので日銀がお金を発行して購入しています。国債は金利支出で一般会計を継続的に苦しめるだけでなく、日銀がその分の通貨を発行しているので、流通通貨が増え貨幣価値が目減りしていきます。日本は少子化、高齢化であり、国として歳入が増える見込みはたっていないのです。縮小傾向にある会社が意味もなく借金を増やしている状態が続いています。市場に潜在性がない中で安倍のミクスのようなサプライサイドはワークしないので、いつかつけを払わなければならないのです。財政赤字は通常、短期的にはそれなりの効果があると言われていますが、何十年も続けていけば、その国の通貨、経済を破綻させるリスクがあります。つまり、歳入が一気に増える見込みがない中で、財政支出を減らさざるを得ない状況がいつかは来るのです。公務員は財政支出に依存している組織なのです。

 

 

株価の高騰だけを見ていると日本経済は戻ってきているように見えますが、これは間違いです。利益が増えている企業は輸出や海外のオペレーションを伸ばしている企業、或いは外国人観光客からの収益に依存している企業です。その他国内産業も世界水準でみて安い労働者の給与により、利益を確保できています。つまり、一般的な日本人や労働者にとってはあまり良い状況にはなっていませんし、一般的な日本人に奉仕する公務員が高い給与を得れる将来は想定しにくいのです。

 

では、若者はどのようなキャリアを考えるべきでしょうか?それは日本企業と同様の方向になります。つまり、自分自身も国際化させ、世界どこでも働けるような能力を得ることです。海外に出るとわかることですが、ちゃんとやっていれば意外と海外での就職は合法的にできる時代です。日本は住みやすい良い国ではありますが、日本だけを収入の場、労働の場と考えると生きずまります。リモートでの労働を認めている企業も増えています。海外企業に働きながら日本に住むことは可能です。課題としてあるのは海外の企業でも雇ってくれるようなスキルを身に着けているかどうかです。

アメリカで働く魅力

労働者が給与が安い国から高い国に出稼ぎに行くということは昔からあることです。私が住むハワイに日系人が多いのも、戦前の出稼ぎの結果としてたくさんの移民が来たからです。「成金になって帰るぞ!」それが合言葉でした。考えてみれば、私もいつの間にか「移民」になってしまいましたが、MBA取得後数年働いたら日本に帰ろうと思っていました。それが30年もたってしまったということです。私の場合はMBA取得後の最初の給与は日本に帰国し外資金融機関などで働くという私が別にもらったオファーに比べるとかなり低いものでした。ただ、アメリカの良さは実績に応じて給与が上がり、その上がり幅というのが想定外に大きいものになるのです。それは近年の大谷翔平がMLBの記録となる年収をオファーされたことからもわかる通りです。更に何よりその競争の過程で自己育成ができ、仮にうまくいかなかったとしても、日本に帰ればそこで鍛えた実績を生かすことができるという、ダウンサイドの少ない投資だったのです。そして周りには世界中からそのような移民が集まってきており、移民の国アメリカは自然と外国人を受け入れる風土や制度があり、すっかり馴染んで今に至っています。

 

海外に働きに出る若者の増加

外務省の統計によると海外に長期滞在している日本人は130万人いて増加傾向にあります。法人統計調査によると企業による海外駐在員総数は2005年以降は増えてはいません。私はアメリカでコンサルタントをしていて、主に日系企業を担当してましたが、2000年以降は大企業は現地化が進み駐在員の数が減っていることは目に見るようにわかりました。その証拠にLAでは、あさひ学園という日本人向けの土曜日学校の規模が大きく縮小し、駐在員をターゲットにしていた日本食レストランの多くも店を閉じるようになってきました。つまり、長期滞在者は全体的に縮小してはいませんが、日本企業の駐在者としては大きく先進国から発展途上国にシフトしていったということが言えます。ところが外務省の統計によると在米の長期滞在邦人の数は増えてきています。それを考えると私のようにアメリカで働く人や国際結婚が増えたのかとも思えます。

それを裏付けるのが賃金格差です。戦前のように、日本の経済衰退により若者にとっては海外で働く方がメリットが多いという現実があります。ここハワイの最低賃金は14ドル、カリフォルニアでは16ドルです。現在の為替では(1ドル=148円)どんな仕事でも日本円で時給2000円以上は稼げます。実際、私は最低賃金で働いている人を知りません。殆どの人はそれより多いのが現実です。そしてそれでも人が見つからないのです。私は奉仕の気持ちで教会で働いていて、年収は以前の3分の1程度ですが、それでも日本の平均年収の倍以上になります。そこまで格差が広がってしまった、そこまで日本経済が落ちぶれてしまったという現実があるということを認識する必要があります。実際私が日本を去った1993年の頃と比べても給与はたいして上がってないし、物価もそれほど変わっていません。なので日本に帰国する度に浦島太郎のような気持になります。トップランナーであった日本の経済は足踏みをしていて、他の国々に次々と抜かれていったというのが過去30年になります。

 

増加する日本人出稼ぎの問題点

日本の足踏みが止まり、またレースに参加できる日が来るのでしょうか?ただ、まだその時は来ていないと思います。そして日本人の出稼ぎ増加が、日本経済にとってさらに悪い状況を生みます。確かに昔も出稼ぎ移民はいました。ただ、戦前の出稼ぎ増加と比べ、今回の状況は日本の経済を加速的に悪化させるリスクがあります。その理由は以下の通りです。

1)Brain Drain(脳の流出):ここハワイでは優秀な人材がメインランドに行ってしまい、人材が流れ出てしまう(DRAIN)という問題があります。それをBrain Drainと呼びますが、日本はこの現象が加速して実害をもたらすと思います。戦前の移民を調査すると、地方出身者で、更には次男、三男といった農家の後継ぎとならない人が多く移民したようです。つまり日本の経済を支えるだけの人的資源は日本に残されていたので、その後の発展がありました。現状の日本は少子化で、若者は貴重です。但し、従来の年功序列で役に立たない年寄りに多くの給与がいき、将来がある若者に給与が少ないという現実があります。その結果として若者が海外に労働力として出てしまいます。優秀な人材が日本に残らなくなると、将来の日本の発展ということはなくなります。

2)戻るIncentiveの欠如:海外でお金を稼いだ人の多くは、そのままその地に残ることを選ぶ傾向にあります。というのは生活がそれに依存するので、出来上がったキャッシュフローを変更するメリットがないからです。更にオーストラリアやアメリカなどは移民を受け入れる風土と制度があるので、そのまま同化し、私のように知らず知らずのうちに移民になってしまうということが想定できます。中国企業などは以前中国人の海外留学生などをトップクラスの給与で呼び戻すことをしたので、国際的水準で競争できる企業が次々とでき、経済が活性化しました。日本も人材を海外から呼び戻す何らかのモチベーションを出さないと、一時的が、永遠になってしまいます。

3)資金の流出と滞る流入:フィリピンなどは経済的に海外での出稼ぎ労働者が国に持ち帰る資金にかなり依存しています。ところが日本の場合は逆に富裕者がより税金が安い国、投資益が多い国に資産を移転していると言われています。自由経済の場合はこれを規制するのは困難になります。経済活動を活性化させるのに資金は不可欠です。資金の流出が加速すると円はますますその価値を失い、最悪貧困者しか残らない国になってしまいます。更に若者の多くはフィリピンのように自分の家族、自分の親の世話をしなければならないという考えがありません。というのも日本人の多くは国の社会保障に甘えているからです。フィリピンと違い、日本人の海外労働者が日本の家族の為に送金をするというモデルは想定できません。

 

これらは日本の経済状況を悪化させます。なので、今後これらを防ぐために新卒や若者の給与を上げ、生産性の低い年寄りを早期退職させる流れが加速すると想定されます。その結果として現在日本に残った40代、50代の人達の経済生活は安定しなくなります。退職金や年金もあてにならない恐ろしい日々がくるかもしれません。ある意味その世代には災難ではありますが、そのような時代が来ることを私は以前から言っていたし、CVSという学生の活動もそれを意図してやっていました。初期の学生はもう40代になりますが、海外で活躍している人が多くやっていて良かったと思っています。

 

海外就職の手順

海外の方が稼げるからといって安易に海外に行き、ウェイターや農業などの仕事をする意味はないでしょう。職業とは手に職をつけることであり、それが長期的に、将来的に役に立つかどうかと考えてみる必要があります。ただ、お金のために働くというのは、若い女性が稼ぐために売春をするようなものです。若いときにはスキルを培い、将来的に世の中で役にたつ熟練を必要とする仕事をするべきです。人生は長いので、長期的なプランに基づき、短期的なアクションを考える必要があります。アメリカ出稼ぎに関しては以下の戦略的なプロセスを取ることを勧めます。

 

ステップ1「留学」:私がデロイトで採用をしていた際にも日本から直接採用することはしませんでした。アメリカの大学を出ていること、そしてアメリカ人とやっていけるレベルの実力があるということが重要でした。アメリカに残り働きたいのであれば、まずは学生になり、大学で学位を得ることが重要です。特に大学院留学は期間も1~2年と短い上、奨学金やTAの仕事もあり、専攻によっては就職につながりやすいのでお勧めです。物価が高い国に来て最下層の仕事をすることに将来はありません。そしてしっかりとした雇用者に雇用してもらい、VISAやGreen Cardのサポートをしてもらう必要があります。その為にもせめてアメリカのトップクラスの大学や大学院に入る実力がまずはあることが重要になります。学力が不足している人は、アメリカで人材が不足している以下専門職のスキルを身に着ける為の留学をするのもありかもしれません。

 

ステップ2「資格」か「投資」:技術がないとやっていけないのがアメリカです。更に私がGreen Cardを取得した際にも特定の職業のプロセスが早くなるということで半年ほどでGreen Cardを出してもらうことができました。私はMBAをもっていましたが、米国公認会計士CPAの資格も取りました。医師、弁護士、公認会計士、牧師、保育士など資格を必要とする職業につくことが永住権を取得するのには重要だし、長期的にキャリアを築くうえで必要になります。看護師はかなり不足しているらしいので特にお勧めです。同様に料理人、美容師、植木屋、Artistなどの職人も良いエントリーであると思います。「投資」もいけますが、現地で雇用したり、実際の売り上げがなければならないので、まとまった資金がないとできないので、日本に親会社があるか、莫大の資産とアメリカでのビジネスプランがしっかりとあることが原則になります。ドル高が続くので、アメリカで事業をすること自体はチャンスがあると思うので悪くないと思います。興味がある人は私は以前エントリー戦略のコンサルもやっていたので無償でアドバイスしますよ。

 

ステップ3コネクション:就職をするにしても、グリーンカードを取るにしても、事業をするにしてもコネクションは重要です。その為には、ターゲットする地域の何らかの団体に属したり、ネットワーキングをする努力が必要になります。日本でもそうですが、特に起業をする際には信頼できるネットワークがないと成功させるのは困難です。VISAや永住権はスポンサーなしに得ることはできません。信頼できる弁護士、会計士、ビジネスパートナーがいれば、起業をしてVISAや永住権を取ることも可能になります。特に起業や投資家の場合は、ある程度の売り上げ、従業員の雇用といったものが要求されるので、その基盤をつくるのにコネクションは重要になります。私は今、教会で働いていますが、教会は信頼できる人に出会う場としては最適です。人間関係を構築できれば、弁護士、会計士、事業主などから個人的な友人ベースでのサポートを受けることも可能です。更に教会では外国人を含む貧困者をサポートしたり、授業料を払ってあげたりといった支援もしています。以前行っていたハリウッドの教会では日本人のホームレスの女性の支援をしていたし、私のいた教会でもベリーズから来た違法移民が合法的に永住権を取れる支援をしていました。

 

私は過去、日系企業のアメリカ進出の支援をしたり、学生の海外就職や留学のサポートもしてきました。今はリタイヤして教会で働いていますが、暇なので、アドバイスしてほしい人がいれば気楽に相談に来てください。ホノルルのOlivet Baptist Churchの事務所にいます。御用の方は気軽に来てください。

 

全ての人は死にます。生まれてから死ぬまでを人生といいますが、その人生で人は何を成し遂げるべきなのでしょうか?たくさん財産の築き、たくさん子孫を残し、子孫を繁栄させることでしょうか?古代から人間の中には人生の意義や目的を見つけようとする人がいました。それらは哲学と言われ、学問の基礎になりました。儒教は宗教というよりは哲学的な側面があるので、恐らく孔子は70歳を過ぎてあるべき状態として70歳を過ぎてのアドバイスを残したのだと思います。なので、70によって成し遂げた状態は努力の最終形であり、それが人生の意義の集大成的なのだと思います。

 

6.子曰、七十而従心所欲不踰矩(七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず)

これを70にもなれば、「自分の欲望に節度がつき、社会の規則を逸脱しなくなる」と解説する人もいますが、孔子は、誰しもが自然にこのような状態になるというようなことを言っているのではないと思います。それが当たり前のことであればわざわざ言う必要も意義もないからです。更に「社会の規則」「法律」というものはその時代の権力者の考えや世相が反映されるだけでなく、解釈にも差があります。儒教におけるキーワードとして仁・義・礼という言葉があり、それれは孔子の考えがベースになっていると言われます。つまり、仁(憐みの心を持ち)、義(固く正義を守り)、礼(他人を敬う)といった節度ある行動が自然にできる状態を70にして体得したと言っているのではないかと思います。

 

「心の欲する所」とは何でしょうか?これは欲望であり、「~がしたい」ということです。聖書には「肉」と「霊」に関する記述があり、これは古代ギリシア哲学のプラトンの言ったことと共通する部分でもあります。肉体の欲すること、「肉欲」とは具体的にどういうことかというとそれは中世キリスト教の中で言われた7Deadly Sins(7つの大罪)に集約されます。それは以下の通りです。

1)Γαστριμαργία (Gluttony)大食い、大酒飲み、です。これは肉欲の中の食欲から来ていることですが、結果として肥満や成人病を発生するだけでなく、社会的には限られた食料を特定の人が独り占めするという問題を引き起こします。

2)Πορνεία (Lust)色欲、性に対する欲望です。これは肉欲のなかの性欲から来ています。性欲はエスカレートし、中毒、レイプ、浮気、家庭の破滅といった問題を引き起こします。

3)Φιλαργυρία (Greed)これは財産や富を得ようとする欲望です。これも肉欲であり、人々はこれを求めすぎると、他人の物を奪ったり、富を独占して貧困者を顧みないといった社会問題を引き起こします。

4)Λύπη  (Envy)嫉妬、妬みです。これも肉欲であり、聖書に出てくる最初の殺人事件は嫉妬が原因となります。現代のストーカー事件や、いじめといった社会問題になります。

5)Ὀργή (Anger)怒り。怒りは肉欲であり、コントロールを失いエスカレートすると殺人などの犯罪を引き起こします。

6)Ἀκηδία(Sloth)怠惰。動物などを観察すると何もしてていない時間が結構ありますが、人間は何もしていないと怠惰になり、社会生産性がない分、社会のお荷物とされてしまいます。

7)Κενοδοξία(Vain)自惚れ、名誉欲。人の上に立ちたい、名誉欲です。これらもエスカレートすると、他の人を蹴落としたり、必要以上に自分をよく見せようとします。

 

これらの欲望の存在は「肉」に従う社会の場合は問題とはされません。むしろ節度を持っていれば、これらの欲望のどれも経済活動における「需要」であり、悪くはないとされます。法治国家の中では社会的に大きな害をもたらす「違法行為」にならない限りは、「悪い」とはされないのです。なので、「節度」さえあれば良いと解釈される傾向があります。但しなぜこれらが大罪とされたのでしょうか?それはこれらはすべて自己中心的な欲望であり、心の中がそれに満たされてしまうと、周りが見えなくなり、自分の人生の優先順位がそれらに支配されてしまうからです。つまり、周りや社会は二の次になってしまうのです。つまり自分から出る欲望そのものが最終的には破滅をもたらすという「原罪」的な発想です。

 

人間はそのような社会ではなくより高尚なものを求めるべきだという教えが古代から哲学や多くの宗教で語られてきました。それを示す言葉として、「肉」の対極にある「霊」というものがあります。「肉」は動物的なものでありますが、「霊」は人間的なものです。キリスト教の世界では「聖霊に満たされる」という表現をしますが、それは自分の心が自己中心的な「肉欲」から解放され、神の願っている我々の心の在り方と一体になっているということです。「神の力で自分が変えられた」という表現は「自分が欲する自己中心的な欲望から解放され、神の教えに従いたいと思うようになった」ということでもあるのです。

 

孔子はキリスト以前の人間であり、当然クリスチャンではありません。但し、この「肉」と「霊」の発想はキリスト教以前の問題であり、全ての宗教に共通する考え方でもあります。儒教が生まれた紀元前4~5世紀は、ギリシアではプラトンのイデア論、インドでは仏教における四諦(苦・集・滅・道)、そして中国の儒教における人・義・礼のように、欲望に従う生き方が社会的な弊害になるだけでなく、知識ある人間の生き方として未熟であるという考え方があったのです。「法律を守っていれば悪くない」というのは倫理的には非常に貧困な考え方であり、むしろ、そのような欲求を持つことから脱却しなければならないという霊的な成熟を古代から倫理や宗教が説いてきました。というのも、法律は人間が便宜的に作った決まりにすぎず、それ自体が豊かな人間としての生き方、豊かな社会を生むことにはならないからです。むしろ頭の中で、何を重要だと考えるか、心が何に魅かれて生きているのかという部分が重要だからです。キリストが言う「女性を性的に意識して目が見てしまう場合に、目を取り除け」(マタイ5:28-29)と言っているのは、まさに欲望の心の中のコントロールの問題であり、法律の枠を超えた、心の在り方を述べています。キリストが説いたGOLDEN RULE(己の欲する所を他に施せ)(マタイ7:12)のようなことが自然にできるという心の状態が、孔子の言う「心の欲するところ」が行きつくレベルであり、仁・義・礼と共通する人のあるべき姿なのです。そして古代から伝わる宗教の存在意義がそこにあるのです。

 

キリスト教にしても仏教にしても古代から肉欲から解放されるための修行というものがありました。そして、その修行はまさに「心を清める」ということにそのゴールがあります。7つの大罪である欲望からの心を清めることです。そしてそのゴールを達成したかどうか実感できるのが、自分の心が欲する所が、自己中心的なものではなく、仁・義・礼が自然にできるような状態になっているということなのです。7つの大罪が大罪とは思われない現代社会の中では「霊」を極めることに美徳を感じる人は少ないでしょう。ただ、せめて70になり、死を目の前に控えたら心を清め、魂の救済を求めることが70年間人間として自分自身を鍛え上げた喜びにもなり、この世に良い足跡を残す最期になるのだと思います。

60歳になると一般的にシニア(中高年)の年齢になります。年末日本に帰国した際に紅白歌合戦を久々に見ましたが、68歳の郷ひろみがブレークダンスに挑戦するなどとてもシニアとは思えないような容姿の人も増えてきました。ただ確実にその体は60年以上存在してきたので、ある程度リスクがあります。10万マイルを超えた車のようにあちこちしっかり手入れをしておかないといつ止まるかわからない年齢になってきているのです。

 

60代は何かと健康意識が高くなるので、その点はわかりきっているので書きません。今回はむしろ、環境、そしてマインドの面を考えてみたいと思います。私が日本を去ったのは1993年ですが、必ず年に1~2回は日本に戻っています。なのでスポットで日本の変化を見てきているわけですが、そんな中気が付いた点として、意味もなく怒っている中高齢の特に「おじさん」をよく見るようになったということです。役所、スーパー、電車の中、色々なところで見かけますが、皆さんはどうでしょうか?ある一定数の精神障害の人などは常にいるので、これはただ単に中高齢の人口が増えたから目立つようになってきたということなのでしょうか?私はこの現象はアメリカで銃の乱射による無差別殺人が増えたことと共通するのではないかと考えています。銃の乱射の犯人を見るとその背後に家庭生活が崩壊しているということが言えます。コロンバインスクール事件のように犯人が一見まともな家族に見えてもそれは仮面家族であり、子供はアイソレートされ、家族という最も重要なCommunityとしての機能は果たしていなかったという事実があります。古代から人間はまずは家族というCommunityに属し、それから部族、国家という単位で組織の構成員となっていったのです。家族が子供を育て、共通の認識や付加価値を家庭内教育をもとに植え付け、そして社会に出ていき新たな家族を作るという流れです。ここで身に着ける協調性と、集団的倫理により人々の行動がコントロールされてきたのです。家族の名誉、家族の手前、社会では変なことはできないという構図があり、突発的な社会問題に対するある種の抑止効果もありました。近代になり、家族という構成要素が崩壊し、仮面家族が増え、より孤立する人が増えてきています。家族に属しているという意識も薄れ、孤立した寂しさから社会にぶつかるという問題が背後にあるような気がします。昔は経済的な結びつきが家族という単位であり、年寄りや子供は嫌でも家族に依存するしかありませんでした。社会保障が充実するにつれより孤立が増えるというやや皮肉な副作用だと思います。

 

離婚率が増え、更に死別もあるので、高齢の一人暮らしの割合は増えています。総務省のデータによると、65歳以上で一人暮らしは630万人、20%の高齢者、高齢者の5人に一人は一人という現実です。これが引きこもりなどと重なると益々孤独死が増え、臭いアパートが増えるリスクがあります。高齢者の多くは健康的にも不安定であり、常にだれかに見てもらう必要があります。地方自治体で孤立した年寄りをモニターするサービスをしているようですが、それにも限界があります。年寄りはどこかに属さなければならないのです。

 

古代から家族が崩壊してしまうことはよくありました。聖書の使徒行伝には初期の教会の姿が載っていますが、それは家族が崩壊して見放された未亡人や老人、みなしごなどを保護する共同のコミュニティーであり、「家族」だとしています。アメリカで教会に行くとBrother, Sisterなどと呼ばれるのにはその由来があります。高齢化社会ではこの「新たな家族」の存在が重要になると思います。なので、今後、特に日本ではこのような高齢者の共同体、あるいはシェアハウスのようなものが急激に増えると予想されます。なぜならそこには以下の圧倒的なメリットと高齢化社会に対する備えがあるからです。

1)経済的メリット:共同生活は各世帯の負担が軽減し、食事などもさらに共有することで家事の負担、食費も軽減できます。今後老人の貧困化が予想されるので、良い対策になります。

2)非常時の対応:共同生活をしているので、誰かに何かがあっても対応できます。留守をするにしても、病気の際にもバックアップ体制があります。孤独死のリスクがあり、老人にアパートを貸す率が減ると想定されるので良い対抗策になります。

3)犯罪の予防:オレオレ詐欺、詐欺商法など年寄りをターゲットにした悪徳商法は後を絶ちません。共同生活をしていればお互いのチェックができるし、危険な訪問販売を抑止することもできるので良い対応策になります。

4)話す相手の存在とボケ防止:人間関係が絶たれてしまうとボケが進むと言われています。「新しい家族」の存在は人生に新しい刺激と日々の会話を生み、人生に希望を与える「孤独」に対する対応策になります。

5)死に対する備え:高齢になると常に死と隣り合わせになります。ただ、現実的にその備えができてなく、孤独死や突然死で多くの問題を遺族に残すことがあります。入居に関して死や病気の際のプロセスを明確にすることにより、これらの問題に対する良い対応策になります。

 

これらは介護を意図した老人ホームに入る以前の60代~70代が適切であるかと思います。そして運営や斡旋はその後に引き取る老人ホームや、結婚相談所がすれば良いかと思います。特にまだ退職金などで余裕がある60代にトラストを作り、これらの施設が保護することで、死ぬまで経済的にやっていけるモデルを作ることができます。ただ、これは「新たな家族」になるので、「合う、合わない」といった個性の問題もあるので、メンバー選びが重要になります。そこで結婚相談所のプロセスがそこにはぴったり合うわけです。更にこれは結婚とは違い共同生活のパートナーなので、ある程度の相性は必要ですが、夫婦になるわけではないので、そこまで厳しい基準にする必要性もありません。そこで良い家族、コミュニティーに属して幸せな人生後期を迎えるのに必要になるのが60代における聞くスキルだと思います。

 

5.子曰、六十而耳順(60にして耳従う)

 

孔子ともある先生が人に話をするのではなく、人の話を聞く、と言い切っているのが興味深いのが60歳です。なぜあえてここで「人の話を聞く」と言っているのでしょうか?人によっては天の声を聞くと言っている人もいますが、天命を知った10年後で天の声を聞くというのも変なものです。なのでここでは「他の人の話に聞き順う」ということだと思います。「順う」は「従う」と違い、プロセス(順)にのっとるというものです。60歳で定年退職をするとただの人になり、中には昔の威厳を保ちたく、自慢話ばかりする人もいます。ただ、ここで認識しなければならないのは、銀座のクラブにしても、キャバクラにしても、自分の話を聞いてもらうのにお金を払わなければならないという現実です。年寄りの自慢話はみじめでしかありませんし、その先に新たな人間関係を築くのには障害になります。60で「ただのおじさん」になったら自らの力でまた人との接点を見出し、新たな人間関係を形成していかないと自分が属するコミュニティー或いは人間関係を構築することは困難なのです。

 

そこで人の話に耳を貸すということが重要になってきます。コンサルタント時代に私は時間に対するプレッシャーが高かったので、人の話を聞く以上に説得をすることに時間をかけていたような気がします。学生の指導をする際も牧師になる際にも話をすることが自らの役割と勘違いしていた部分がありました。どんなに良い話ができても、相手との人間関係が構築できなければ牧師としては失敗です。相手の立場になり、ゆっくりと時間をかけ相手の考えや状況を理解することで、徐々に人間関係を構築するといった地道な努力が牧師には不可欠なのです。そしてその信頼関係ができないと人々はなかなか自分の言うことに従わず、彼らのリーダーとなることはできないのです。コンサルとは違い、人生となると気持ちが重要になるのでロジック以上に思いやりが重要になり、親身に話を聞くということをしないと、特に年配の方との人間関係を構築するのは困難です。相手の話を聞き、理解するからこそ、長い人生経験からくる適切なアドバイスもできるし、何より話を聞くことで構築した人間関係があるからこそ相手の考え方に影響を与えることができるのです。

 

60でリタイヤしたら新たな人間関係を模索しなければなりません。結婚していても、ずっと家に居てゴロゴロしていたら邪魔にされ、高齢離婚の道まっしぐらになります。多くの人はまだ20年、30年と生きるのです。だからこそ新たな人間関係を模索しなければならないのです。私は個人的には高齢者のシェアハウスは面白いと思います。日本に帰ったら教会を通じてつくってみたいとも感じています。そしてその際には相手との相性が問われるので、「聞く力」「人間関係構築の力」が重要になるのです。孔子でさえ「耳順う」と言っているのです。さすが孔子ですね。60歳にして最も必要なスキルであると思います。

 

孔子が存在した紀元前500年ごろの平均寿命は30~40と言われてます。その時代に孔子が70過ぎまで生きたということは、現代で150まで生きるようなものです。逆に言えば、当時の人には、40にして、50にしてと言われてもそこまで生きないのでまったく意味がなかったことになります。つまり、この孔子の教えは、現代の方がむしろ適切にあてはまるものであり、人生80年以上と考えると意味を成します。

 

平均寿命は順調に伸びており、より多くの人が長生きしています。ただ、この長生きが計画を崩し、確定拠出型の年金制度を破壊することになりました。年を取れば病気も増え、医療機関に対する依存度も増してきます。年金、医療、そういった社会保障に依存しなければならないというのが「老いる」ことの現実だと言えます。ただ長く生きるということは社会にとって別にプラスになっているわけではないので、周りの負担に依存していると感じることは生きる上での希望にはなりません。そこで、多くの人は健康に、そして社会に何らかの貢献、そしてこの世に自分が存在したことによる何らかの価値を残していきたいと思うはずです。50までは自分の為、家族の為、そして将来の為に必死で働き、貯蓄をします。50にもなると、子供が自立し、住宅ローンの返済も終え、まさに人生のターニングポイントになります。人生100年と考えれば、セカンドハーフの人生の始まりになります。何を目標に後半の人生を生きていったら良いのでしょうか?

 

4.子曰、五十而知天命(50にして天命を知る)

 

この孔子の言葉から50は知名と言われるそうです。では何を知ることなのでしょうか?天命とは天から与えられた命令のことだそうです。50にもなると多くの人は、子育ても終え、お金儲けにはそれほど関心が失せていくようです。そして何らかのゴールを模索します。そのゴールを天から与えられるというのはありがたいものです。キリスト教ではCALLINGという言い方をしますが、自分が神から与えられたギフト(タレントや資金)を神が良しとする目的に対して投資をするという神から召される使命です。つまり、天命というのは自分がこの世に生まれてきた意義のようなものです。これが「ある」「ない」では生きる希望という視点が大きく変わります。50歳は人生の過渡期であり、日々の生活に新たな目標がないと、定年退職後の鬱や、熟年離婚などの問題を引き起こしかねません。自分の存在意義がなければ希望が見いだせず、パチンコ、酒、テレビなど無駄に時間を過ごし終わってしまいます。

 

その目標を考える際に意識しなければならないのが、「死」です。生きる目標とはその終わりを意識して初めて意味を成します。死ぬ歳に、「世に対する役割を果たすことができた」と満足して死ねるかということです。以前、宗教や神の概念がこの世に存在するのは「死」があるからだと大学の宗教学の教授が言っていました。確かに人類の歴史に宗教、「神」の存在は大きく影響し、哲学の世界でも「人間の存在」を神と関連付けて研究がされてきました。科学が進んだ現代で、この考えは時代遅れだという人もいます。ただ、世界の80億の人口の内、無宗教の人の割合は僅か12%であり(宗教辞典)、日本人のように無宗教が多い国であれ、「霊」や「見えない力」を信じる人は少なくありません。更に「死を意識した際」特に自分が避けることのできない死に直面した際に「神様助けて!」と神にすがるという行動は不自然ではありません。

 

孔子がここで「天命」といっているのは天、あるいは神のような絶対的な存在からくる命令ということなので、50を過ぎたらその天からの命令に耳をかしなさいというメッセージです。私は牧師になるために神学校に行きましたが、そこには50代の医師、弁護士、NASAのエンジニアなど、それなりに人生のキャリアで成功した人たちが多くいました。殆どの人がCALLINGがあったと言っていましたが、どちらかというと、それを模索していたという表現の方が良いかもしれません。つまり、それは自分が生きる意義とこの世に何を残すのか、ということです。それは自分が死ぬとき、そして自分が信じる神と直面した際に、命令を果たしたと報告できるかどうかです。死ねば、財産も、名誉や権力も天にもっていくことはできません。この世に残るレガシーも、要は残された社会に何を貢献したかということにつきるのです。

 

15にして志し、30にして独立し、40に自分が職能を極めたのであれば、50になればレガシーを残すため、死ぬときに後悔がないように天の声を聞き、それに従うということを考えなければならない。この50の天命を知るということが人生で最も難しく、重要なキャリアプランとなることでしょう。おじさんは人の邪魔をしたり、自慢話をしたりするような時間はなく、むしろこの新たな、重要な課題に日々忙しく過ごしていなければならないのです。社会のお荷物になるのではなく、社会への貢献に日々没頭するのが50代の生き方なのです。

 

42は厄年と言われ、昔から良くないことが起きる年齢だと言われています。実際、脳梗塞、心筋梗塞といった突然死は40代以降に急上昇します。実に死因の20%にもなるほどです。(日本循環器学会資料)過労死などもこの年齢で多いのですが、要は仕事のストレスに体がついていかなくなる年齢なのです。なので、40歳以降は人を使い、自分は後任の育成及び判断をする仕事をするべきです。30代の感覚で無理して働いている場合、過労死のリスクのみしかないので、生命保険に入るか、自分の仕事を見直す必要があります。私は43でコンサルティングの会社をリタイヤし、第二の人生を歩むことにしました。数年後、同僚のコンサルタントが出張中に心筋梗塞でなくなりました。まだ40代の元ラグビー選手で健康な人でした。コンサルティングは出張が多く、ストレスレベルが高い仕事ではありましたが、40代にもなるとだいぶ慣れてくるので、脳ではストレスとして捉えなくなります。但し、体はそうはいかないのです。

 

3.子曰、四十而不惑 (40にして惑わず)

「惑わず」とは的確な判断ができるということです。「若気の至り」という言葉がありますが、若いときは良い判断ができない、間違いを犯すという傾向があります。でもまだやり直すことができます。若さゆえにです。但し、人生の半分である40にもなってこういった間違いは命取りになります。40にもなったら、的確な判断ができるようになっていなければなりません。仕事は若い人に任せ、自分は指導と判断のみに徹するべきです。長時間労働や過度のストレスがある環境にいてはならないのです。

 

もし、15にして志し、30にして自立していれば、40までにそれなりの経験と実績があるはずです。それが故に、人に指導できることもあるはずです。従来、特に職人などの世界ではある程度この年功序列的な職業スキルのProgression Modelがありました。ところが近年のテクノロジーの変化がそれを一変させました。若い人の方がテクノロジーの活用が早く、世の中がテクノロジーによって変えられていく中、テクノロジーに対応できない「おじさん」は存在価値を見失い、社会的にも邪魔者扱いされるようになってきました。これは「おじさん」が現状にあまえ、テクノロジーに対する判断を誤ったということが言えます。但し、たとえテクノロジーを理解することができなかったにせよ、「人を育てる」というスーパーバイズする能力があればそれなりに存在価値はあり、邪魔者にはならなかったでしょう。温故知新とは同じ孔子の言葉だと言われています。「子曰く故きを温め新しきをしれば、もって師たるべし」つまり、昔から伝わる若者への指導能力と、新しいテクノロジーの意義をちゃんと理解していれば、先生として務まり、若者もついていくのです。日本に邪魔者おじさんが増えてしまった理由はテクノロジーの進化についていけなかっただけでなく、成熟して肥大化してしまった組織にいて、なかなか昇進の機会がなく、更には模範になるような上司のいない環境で、しっかりとした人材育成がされていなかったことにあります。それが最近のセクハラ、パワハラといった問題につながっているのだと思います。スポーツでも現役をリタイヤしたらコーチなど人材育成に徹します。社会人も同様で40を過ぎたら人材育成のスキルをしっかり身に着け、指導をする仕事に徹するべきです。

 

同時に40を過ぎたら健康管理を優先すべきです。過労死は自分だけでなく、家族、周りにも悲劇をもたらします。特に日々の運動と、食生活の見直しが必要です。私がコンサルタントの時はとにかく外食が多く、外食はカロリーが高くコレステロールが高くなりました。野菜を多くとり、適度な運動をすることを優先すべきです。そういった健康管理が日々のルーチンとしてスケジュールに入ってなければならないのです。同時にそういったルーチンのスケジュールを立てることができないような仕事はやめた方が良いでしょう。たとえ所得を犠牲にしたとしても健康を優先すべきです。

 

更に自分が生きる環境に関しても常にだれかに見てもらえるような職場、家庭環境が必要です。昔、偉人には付き人がいました。そして付き人がその人の安全や健康をチェックしてくれたのです。突然死の場合はすぐに発見されるかどうかが生死を分けます。特に月曜の朝に起きる可能性が高いらしいので家庭内でも誰かにみてもらう必要があります。最近は未婚で一人暮らしの40代が増えているようですが、昔からなぜ人は結婚をしていたのか、生きる上でなぜパートナーを必要とするのかを恋愛という枠を超えて考えてみる必要があります。なので、この年齢ではある程度の貯蓄が無ければそのような環境はできません。それ故、15にしてしっかり学業を志し、30に独立できる水準でしっかりと働いていた実績が意味を成します。そして40にもなれば人を指導し、使い、自分の仕事は第一線から身を引き、出張や労働時間も減らすようにしなければなりません。つまり、十分な金銭的な貯蓄と知識と経験の貯蓄がなければ恵まれた40代を迎えることはできません。更には必要以上の貯蓄は必要ないので、仕事をある程度人に譲るという節度と余裕も必要になります。

 

40歳になった人の殆どは、40になった、自分は中高年の域に入ったという自覚がありません。私も40の頃出張中に頭がくらくらしたので病院で精密検査を受けたことがあります。本人はまったく認識がないと思うので、40になる人がいたら、誕生日のプレゼントとしてこのメッセージをコピーしてあげるといいでしょう。

新年あけましておめでとうございます!2024年はどのような年になるでしょうか?

 

今回は家族で一緒に日本で新年を迎えています。私の娘はCOVIDの間に通った日本の中学の友達と久しぶりに会っています。そんな中で、娘が「不思議」と感じたことがあるそうです。それは皆それぞれの高校に進学していて、「偏差値が…」とランク付けしていることです。日本では自分が「何に属しているのか」がとても重要であり、その属する団体の格付けが重要になるのです。YOUTUBEで面白いと思ったチャンネルにWakatteTVというのがあり、そこでは「学歴マトリョーシカ」というゲームをやっています。街中で人々にインタビューをして、相手の学歴を当て、その出身校の偏差値を低い順に並べてマトリョーシカを完成させたら勝ちというゲームです。面白いのですが、偏差値で人をランク付けするコメントをしているので、日本では偏差値がそこまで重要なのか?と不思議に思います。そして、日本では自分がどこに属するのか、そしてその属する団体の偏差値自体が、その人の格付けになるのかというある理不尽かつ不自然な上下関係のようなものがあるのかと疑問に思います。

 

日本では国家公務員や大企業に就職することで将来は安定するといった神話があります。ただ歴史的にそこまで長く続いた企業はないし、公務員という仕事は、奉公のようなものであり、そこで身に着けたスキルは特殊なもので汎用できません。不沈と言われた戦艦ヤマトは空母による航空戦に対応できずあえなく沈みました。大企業はその大きさ故に沈むときに止めることができなくなります。資本主義の世界であれば、資本家(経営者)でなければその醍醐味を体験することはできません。鶏口牛後ではありませんが、日本人が牛後であることを良しとするのはどうかと思います。

 

2.子曰、吾三十而立 (30にして立つ)

自立をするということはどういうことでしょうか?もうすぐ成人の日が来ますが、二十歳になったら自立なのでしょうか?就職をしたら自立なのでしょうか?

 

職人の世界では、弟子入りをし、仕事を学んだら自立し自分の店を開きます。医学を志すと医学部を出て、インターンで経験を積み、その後初めて専門医か開業医などの道を進むようになります。弁護士や会計士も同様に資格試験を通り、現場の経験を積んで初めて自立をすることができます。その年齢として30というのは妥当な年齢です。自立をするということはプロとして自分の腕で仕事をして生活をするということです。

 

サラリーマンや公務員という仕事はまさに歯車の歯であり、使用人に過ぎません。そしてそういう過去からの伝統に取りつかれた企業では年功序列で少しずつ責任が増えていきますが、日々の仕事内容に関してはあまり頭を使わない作業的な仕事に携わることになります。日本の義務教育同様に全員同じ尺度で仕事を任され少しづつ仕事になじんでもらう流れになります。ただ、現実の社会、現実のビジネスの世界は動きが早く、競争も過酷です。大企業や公務員は大きな船に乗っているような錯覚に陥り、波の激しい現実の世界とは乖離してしまいます。巨大な豪華クルーズとは異なり、大企業や公務員の大型の船は順調むという約束はありません。船から落とされることもあれば、船がばらばらになってしまうこともあります。その際に激しい荒波の中、自分の力で生きていくことができるでしょうか?今の日本はまさに自分の船に自分の将来を任せることができない状態になっています。技術を身に着けて船から船を渡り歩くキャリアの人も少なくはありません。サラリーマンや公務員にとって「自立」とは何を意味するのでしょうか?

 

60までキャリアがあると想定すると、30はちょうどその半分になります。人生で何かを目標にしているのであれば、30にはその目標とするポイントに近づかなければなりません。プロのアスリートはよく肉体的なピークは30という人がいますが、ビジネスマンも30がそのピークであることは間違いありません。30までは転職も楽にできるかもしれませんが、30過ぎるとやや困難になっていきます。公務員はわかりませんが、大企業ではだいたい30になると、出世コースか、50で再雇用になる通常コースか分かれてきます。なので仮に大企業に魅力を感じていて継続的に頑張ろうという気力があるのであれば、ある程度のPositionまでの昇進がなければ、その会社を去った方がより飛躍したキャリアを歩める可能性があります。つまり、30までには自分がプロのビジネスマンとしての役職につくか、起業するなりしてプロとして自分でやっていくという状況にならなければなりません。つまり30までには自分でどのようにキャリアを歩むか決めてその方向に動くべきです。やはり孔子に学んで30には「立つ」=プロとして自立するということが必要です。

 

プロになるということは自分が社会に貢献できるスキルを持っているということです。偏差値、学歴、公務員、そういったことは世界では通用しません。将来的にそういった日本特有のものは徐々に意味がなくなっていくでしょう。自分がプロとしてどういう形で社会に、世界に、貢献していけるのか30歳になるまでにはそれらをしっかりと身に着けてもらいたいと思います。2024年を迎えるにあたり、それをNew Year’s Day Resolution(新年の抱負)として考えてみてください。