世界史で学ぶ大航海時代というのはグローバル化の始まりになります。フランシスコ・ザビエルの来航以降日本にもその波がやってきましたが、日本は鎖国を続け、明治時代以降も独立を保つことができました。外国との接点が少なかった故に日本は独自のカルチャーや人間関係のシステムを構築しました。ここに日本人が英語ができない本当の理由があります。

 

以前から言っていますが、日本人の英語の水準はどうみてもよくなっていません。むしろ外国人が日本に来て数年で日本語をマスターしてしまうので、そこまで日本に住む日本人が無理して英語を勉強する必要性はないように思えます。というのも日本にいる最近の外国人の多くは日本の文化を好み、同化しようとしています。言語はカルチャーであり、それを習得するのには文化理解が不可欠です。私の子供はバイリンガルですが、Covidの間に日本で中学校に通った娘と違い、息子が日本語で話をするのは礼儀がなっておらず、むしろ英語で話していた方が良いのではないかと思うことがあります。それは日本の礼儀や話し方を知っている娘と違い、息子は日本語を話すときもアメリカ風に話をするからです。バイリンガルの人は、日本語の場合はバイカルチャル(Bi-Cultural)でなければなりません。だからこそ、日本語を話している姿と、英語を話している姿は別人のように見えたりします。日本語を話す際には日本語で考え、英語で話す際には英語で考える習慣がつき、それが別々のパーソナリティーに見えるのです。この文化的な壁が厚いからこそ、別々のパーソナリティーにならないとまともなコミュニケーションが成り立たないのです。

 

日本の文化はがっつり学校で叩き込まれます。そしてそれがコミュニケーションとしての英語学習に関しては阻害要因となるので、いつまでたっても英語によるコミュニケーションがうまく取れなくなります。「書く分には、聞いている分にはわかるけど、話せない。」というのはまさに日本教育の優等生が陥る英語障害です。この原因となるのが日本における教育の以下の特徴です。

 

1)周りに合わせる文化:日本は周りとの協調が重要視される社会です。「空気を読む」ということを良く言いますが、周りに対する配慮がその前提にあります。歴史的に日本人はコミュニケーションにおいて厳しいルールがあり、自由に思ったことを言う前に必ずと言っていいほど、周りの状況を確認します。アメリカなどでもある程度周りに配慮はしますが、その度合いが異なります。日本が周り>自分であるのに対して、アメリカではある程度周り<自分という具合です。日本人の中には自分が言うことに対するリアクションを恐れるがばかりに、きちんと外国人に言うべきことを言えない人もいます。私がビジネススクールに行っていたころに、クラスの殆どがケース分析の議論なのでそれについていけないと多くの日本人は悩んでいました。皆TOEFLで満点近い人ばかりだったので、英語の問題ではないと思います。発言が成績に反映するので、その発言の適切さを考えすぎたが故に会話のスピードについていけなかったのです。協調性重視社会では周りの意見=自分の意見となってしまう傾向があり、自分の意見、自分の考えを形成し、主張する能力が伸びにくくなります。

 

2)間違いを恐れる文化:話をする良い点は、すぐ訂正できるという点にあります。日本とアメリカの仕事の違いとして、アメリカではかなりバーバルコミュニケーションが多く、電話などで仕事がどんどん進みます。会話の中でコミュニケーションにおける誤解や間違いを但し、しっかりと意思疎通をするというプロセスを経ます。だから会話における間違いや誤解に関しては肝要です。日本の英語教育の中では常に答えは一つであり、間違うと正すという習慣があります。大学生の時に黒人の家庭にしばらくいたことがありますが、そこで話す英語は明らかに通常の英文法を無視したものでした。言葉はコミュニケーションのツールにすぎず、間違いはつきものです。特に外国語の場合は聞く相手も決して完璧な英語は求めません、意思疎通をする方が重要なのです。日本の減点方式の英語教育はコミュニケーションを躊躇させ、英語を伸ばす阻害になります。

 

3)法則重視の文化:日本の教育は先生がやり方を教え、それに生徒が従うということが主体です。実際にはこのやり方には色々な種類がありますが、学校教育の基本要綱に沿って形を教えられます。そして日本人はそういうHOW TOが学習の基本として感じているので、本屋には意味のないHOW TO本が並び、その本を読みHOW TOを身に着けることが教育だと勘違いしています。日本のHOW TO教育は工場の労働者など、決められたことをする仕事をする人間を養成するのには向いていますが、決まりがない未知のこと、全く新しいことを開発するのには向いてません。アメリカにおける議論の中には人々が異なる視点から意見を出すことで、その中から何がベストなものであるかというのを導き出すという思考プロセスがあります。そして議論を構成する能力や説得をする論法が重要になってきます。この議論能力は学習習慣にもなるので、アメリカでは小学校からスタートしています。アメリカの教育の中でも当然ある程度のHOW TOはあり、共通テストなどはHOW TOをクリアすれば高得点を取ることができます。但し、それがすべてではなく、むしろ独創性や議論能力、リーダーシップなどの方がより高度な能力として求められます。だからアメリカの良い大学などでは面接を実施しています。つまり、法則にしたがう人より、新たな法則を導き出す人の方が評価されるのです。

 

 

4)日本語主体の教育:日本で英語を学ぶと、常に日本語に戻し、日本語でなんというかを考え英語に訳して話すという習慣があります。言語は文化であり、日本語日本文化で英語の欧米文化を語るのには限界があります。更に、日本語の会話は一般的に英語の会話に比べのんびりしており、回りくどい言い方が横行しています。アメリカでは端的にわかりやすくコミュニケートをすることがその主体にあります。更に、そのコミュニケーションにおける効率性も求められるので、かなりのスピードで議論が進みます。日本の学校ではアメリカのような激しい意見交換をハイスピードでやるようなものは存在しません。それが故に、対等に海外の人と議論するのは大変でアメリカの大学のケース分析などで苦労することになります。

 

英語のコミュニケーションを身に着ける方法

実をいうとこれはそれほど難しくはありません。最初から二つの文化、二つの言語を習得する習慣をつければ良いのです。最近、日本でインターナショナルスクールが人気があると聞いています。ただ、それはただのムダ金にしかありません。日本の教育にも良い点があり、日本に住んでいるのであれば、日本の文化、言語、そして流儀をしっかり身に着ける必要があります。それがないと日本から来たくせに何も日本人らしさのないつまらない人間になります。低コストで日本の公立校に行くことにはそれなりのメリット、意義があります。日本に住んでいる以上は、日本>海外でなければその意味はありません。英語力、或いは海外の文化、言語を身に着ける為にはその文化に一定期間浸る(IMMERSION教育)体験が効果的です。そしてその期間はそれほど長くなくても大丈夫です。例えば夏休みとか、或いは半年程度、子供をアメリカの学校にやるということを小学校、中学校、高校などで継続してやるだけでかなりの能力がつきます。ちゃんと親がVISAを取得すれば子供をアメリカの公立校に無料で入れることができます。だから子供を日本のインターナショナルスクールに入れる費用で、自分でVISAを取りアメリカで働くとか、勉強し、そこに子供を一緒に連れていくというのがベストでしょう。子供の教育は大学で莫大な費用がかかるので、小学校や中学校などではむしろ体験教育を自分で実施することにお金をかけた方がいいですし、アメリカの大学受験ではそれまでのバックグラウンドがかなり重要になります。「日本に住んでいる日本人がわざわざお金をかけてインターナショナルスクールにいった」というバックグラウンドには何の価値があるのでしょうか?私は日本では公立、国立の教育しか受けていませんので、特に私立の良さについてはわかりません。但し実際に社会に出ると必ずしも私立の教育を受けたから良いという証拠はありません。更に、中途半端に国際教育をすると日本語、日本文化、日本人が持っている独特の勤勉さや協調性が身につかないような気がします。私は日本のインターナショナルスクールを出た優秀な日本人にはあったことはありません。学習という巨額かつ子孫繁栄に重要な投資に関してはしっかりとそのROI(投資効果)を考える必要があります。